これはブログへ入れるネタかもしれないが、ビーチボーイズがらみだし、雑記があってもいいでしょう…。
facebook へは備忘録的に気になった YouTube 映像を入れている。〝夏の終わり〟というお題を考えていてフと浮かんだのはレアなシングル曲《Rick Henn / girl on the beach》。
ブライアン・ウィルソンにスタジオから叩き出された父マリーが、怒りの鉾先へ向けて担ぎ上げた対抗馬がザ・サンレイズと言われる…そのリーダーだったリック・ヘンで、バンド自体は《I live for the sun》ともう一曲だっけ…そこそこヒットで終わり。ブライアンとは反目する関係のようで実はヘンはブライと仲がよかったらしい。《soulful old man sunshine》という素晴らしい共作ナンバーがあることは知られている。
他のサンレイズ曲も見ていると、リンクにあったのが Surf Punks 。これも懐かしい名前だ。
ひと昔前のこと、ワタシはある時気づいた…ビーチボーイズ・アルバムにふたりの〝デニス〟というドラマーがいることに。ひとりはもちろんデニス・ウィルソン。そしてもうひとりは、デニス・ドラゴン。たぶんこの1曲だけでしょうが(笑)…LP【15 big ones】に収められた《suzie cincinnati》。最初は誤植かと思った。しかし、「ドラゴン」のことは後々いろいろと知ることになる。サーフ・パンクスを作った男であることも…。
【15 big ones】のクレジットにはもうひとりのドラゴンもいた。兄のダリル・ドラゴン。アルバムにはトニ・テニールも参加。この夫婦が〝キャプテン&テニール〟としてビッグネームになるのはもう少し後のこと。
デニスの兄ダリルとデニスは仲がよかった…(笑)。前者はデニス・ドラゴン/後者はデニス・ウィルソン。
70年の暮れに英国 Stateside レーベルを中心にヨーロッパのみで発売されたレア・シングルが1枚、Dennis Wilson & Rumbo 名義シングル《sound of free / lady》。このランボーがダリル・ドラゴン。ダリルはマイク・ラヴから〝キャプテン〟とあだ名を付けられてビーチボーイズのスタッフ・キーボーディストとして活躍していたが、ここでは「ランボー」である。後に、ロスでも有数のヒット・スタジオとなる Rumbo Recorders を興した(すでに売却)。
もどって弟デニス・ドラゴンだが、サーフ・パンクスの結成は【15 big ones】と同年76年のこと。
そこでは、この莫迦らしさなんだね (YouTube) 。しかしこの脳天気さこそカリフォルニアンの特権かも。「エエとこのボンボンの」という但し書き付きでの話…。
こんなズルズルなサイトもやってます。
デニス&ダリル兄弟の父は Carmen Dragon …ワタシは知らなかったが、アメリカのかなり著名な…オスカー像もエミー賞も授賞しているシンフォニー指揮者/作曲家なのだそうな。キャピトル・レコードのクラシック部門を育て上げた功労者ともある。
となればその息子たち、ハリウッドでも相当にハイクラスな生活者であったと想像する。
蛇足:カーメンの娘、ダリル&デニスの兄妹に Kathryn Dragon Henn という名前がある。もしやリック・ヘンと結婚…かもしれない。
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今日、ビーチボーイズを紐解けば、そのヒストリー上にいろいろな名前が〝関係者〟として挙げられる。ヘンやダリル&デニス・ドラゴンもその内だろう。
Hollywood Circle of Friends .... と言ってはどうだ。ど真ん中にまず「天才ブライアン・ウィルソン」がいて…。円周の一周目はメンバー、二周目にそのファミリー。三周目でミュージシャン/プロデューサー等々音楽関係者、大外にはユージーン・ランディ、ロッキー・パンプリン、バナナ&ルーイ(飼っていた犬)、フランク・ホルムズ(【smile】illustrator)など音楽以外のリンク項目…。
現在、ドラゴン兄弟を含め、テリー・メルチャーやブルース・ジョンストンすらも「ブライアン周辺」組として語られる。
しかしここでふと思う。はたしてビーチボーイズがデビューした当時にそのサークルは形成されていたかと。もちろん今日、ブライアンが西海岸…とりわけハリウッド音楽シーンのトップに位置することに異論なし。ただ、60年代初頭は「お金持ちで/エエとこのボンボンら」がハリウッドの丘の上にて、音楽シーンを引っ張っていたと思う。
日本のロック黎明期が慶応&立教ボーイというお坊っちゃま達に先導されたごとく…。
ことさら貶める気など無い…しかしウィルソン家が中産階級、というよりプアホワイトに属する家庭だった事実は踏まえたほうが、より正しく当時の状況を捉えられるんじゃないかと思う、漠然とだが…。高速道路の下に消えたあのホーソーンの家はかなり小さかった。子ども達に別々のベッドルームはなかっただろう、一部屋で三人が寝起きしていたと思える。
マリー&オードリー夫妻が旅行へ出る際に生活費を子ども達に置いていかなかったら歴史はどう変わっていたか…。
メジャー・レーベル=キャピトル、はたして契約時にビーチボーイズをどう捉えていただろう。西海岸の新たなトレンドに絡めてそこそこのヒットが生まれればOK…そこで「お役御免」ぐらいに思っていんじゃないかと思うのです。
いまでこそ、バブルガムっぽい/ビーチボーイズに比してレベルの低い音楽…そんな捉え方しかされていなような、ジャン&ディーン。ディーンもすっかりブライアン/BB周りのひとりになっているけれど、実はこちらこそが〝メインストリーム〟であったように思うんだ…どうだろう。
詳しい事は知りません。が、ハリウッドにユニヴァーシティ/フェアファクスというふたつの高校があったわけでしょ。いまもあるのかな? 芸能人の子弟が通う有名校という印象。TVの『ビヴァリーヒルズ高校白書』まんまの印象も。
ジャン&ディーン、ナンシー・シナトラ、テリー・メルチャーやブルース・ジョンストン、フィル・スペクター、ディノ・デジ&ビリー、サンディ・ネルソン、ハーブ・アルパートなどの名前が挙がるか? ドラゴン兄弟も含まれそうな…。
彼ら/彼女ら…ある種セレブな若者の音楽道楽こそが西海岸音楽の礎なんじゃないでしょうかね。
ドリス・デイの息子テリー・メルチャー。その父親の持つアーウィン・レーベルあたり…ジャンがディーンと組む前のジャン&アーニーもリリースだった、ここらの実験的録音が後に大きく広がったんじゃないか。
高校生時代にスペクター/ジョンストン/ネルソンらが組んでいたという The Sleepwalkers 。そこのマネージャ役兼ボディガードであったとされるのがキム・フォーリー。この人もユニヴァーシティ高校出。フォーリーとくれば、ゲイリー・パクストンやクライド〝Skip〟バッティンもからむ名前だが、とにかくこの人もハリウッドの顔役のひとりでしょう。
2000年にドイツのレーベルから出たCD、ブライアン・トリビュートな1枚。
【Caroline Now! / the songs of Brian Wilson and the Beach Boys】
アレックス・チルトン/ハイ・ラマズ/フリー・デザイン等々、かなりコアなフリークが集結した盤の最後、トリを飾ったのはキム・フォーリーだった、曲は《almost summer》。
曲始まりは延々トーク…ブライアンに語りかけているが、なんとも〝上から〟(笑)。
「俺が Gold Star でマーメイズを録っている時に、オヤジのマリーとやってきたのが最初に会った時だよなあ/マーメイズをパクってハニーズを、お前さんは作ったっけな/まあマーメイズはビートルズを蹴落として1位を取ったわけだが…」
この〝上から物言い〟に、ハリウッドの先輩としてのプライドを強く感じるんですワ…。お前さんはたしかにビッグネームになったが、先に始めていたのはオレらなんだぜ、ってな。
〝ハリウッド丘の上の音楽〟は60年代=アメリカのよき時代をもって終焉の感もある(同じことは東海岸の〝ティンパンアレイ〟だろう)が、70年代に微かにそのフレイヴァーを味わわせてくれたのは Equinox Production だったな。メルチャーとジョンストンという手練れ、長年コンビによるのだから味は確か…。
【Bill House/give me a break】とデヴィッド・キャシティの2枚が不朽の名盤。
【The higher they climb】【Home is where the heart is】
【追記】120928
想像したとおりでした。ダリル&デニスの兄妹 Kathryn Dragon はリック・ヘンと結婚して今も Malibou に暮らすそう。さらに、その楽曲《girl on the beach》はケイトに送った曲だった! プロポーズに使ったんだねこれ!
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