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D(以下Denny):兄キの…卒業制作、芸高*の卒業制作を、森田さんがウチきて描いてたよ。
M(以下森田):え、マジで?
D:覚えてないの? 兄キは森田さんに描かせてそれ見てるだけだったからね。ひどい兄キ (笑)。
M: (笑)どんなんだっけ、今見てみたいなあ。
D:絵心あったわけね。
M:そうそう、絵はさ…中学高校と、どんなでたらめ描いても入賞。だからいやんなってやめた。
D:なんだそりゃ。じゃあ日芸*へは美術で行こうって気はなかったんだ。文芸だよねえ、なんで文芸?
M:あ〜なんでもよかったの。別に日芸じゃなくてもよかったし…。
D:日芸は出たの?
M:いや、4年で中退。
D:じゃあ兄キの卒業制作描いてたのは日芸をやめるかどうかって頃だよね。
M:そうかな。…もともとうちのノリがおたくの兄キに駅で会って、『うちの兄キもおめぇみたいなことやってっからこんど寄れや』といったらしいね。
D:因縁つけた… (笑)。
M:そうそう (笑)。それで兄キがうちにいきなり来たんだよ。
D:なるほど、オレもその後だろうけどくっついて中学ん時にこの家来てるよ。
M:そうだっけ?
D:ところでアナログはぜんぜんないの?
M:いや、あるよ少し。老後の楽しみにとってある分 (笑)。
D:でもほとんどないでしょ、すべて金沢工業大へ…。
M:そうそう、寄贈した。
D:惜しいなあ。
M:惜しくないよ、うちの床が抜けちゃうもん。
D:だよねえ…、何枚ぐらいあったっけ?
M:5〜6000枚。
D:やっぱ惜しいヨ…オレにとっては。ここのレコとモリタケさんとこのレコ棚を…オレは自分のストックと思っていたから。マイ・ライブラリィっていうか… (笑)。
覚えてるのがあって…。ジョージ・ハッチャー・バンドって盤が、日本盤、ビクターからの見本盤だったな。それが届いたところでさ、見たらロギンス&メッシーナの "good friend" をカバーしていたのよ。
M:ああ〜南部モノだっけ。
D:それをやけにはっきり覚えてるんだよなあ。グラムの【GP】もここで聴いたよねえ。
M:いまになって中古盤屋のエサ箱漁りしてると、この盤も持ってたよなぁ…てのがあるねえ。
D:そりゃそうでしょ。
D:74年て森田さんなにしてたの?
M:学校で遊んでたよ。
D:まだ学生?
M:23かあ、じゃあ退学した頃か… ボブズ*のマネージャやってたかな。
D:もう?
M:じゃねえか。何をしてたかなあ。
D:森田さん、音楽はどこから入ってるの? 高校は? バンドやってた? ノリちゃんの勝ち抜きエレキ合戦*は有名だけど。
M:オレもやってたな、軽音で…バンドごっこ。日芸ではやってないな。
D:ヤスベエさんや亡くなったエイセイくんとは日芸で同期でしょ? 一緒にバンドやってないの?
M:ヤスベエは…高校ん時から石山恵三*なんかと友達で、自分でもバンドやってた。 それとエスケープ…高中がいたバンドだっけ、あそこらとも友達だったような。エイセイはバンドじゃなくてふたりでアコギでロギンス&メッシーナのコピーとかやってたな。オレは…福生にいたんだよ。
D:あれってその頃?
M:知り合いが福生のハウスを借りていて…そこに居候してた。
D:柴田さんだよねえ。
M:あ、そうそう。
D:柴田さんが借りてたハウス、オレも行ったもん。あれはもっと後でしょ。
M:そうだっけ?
D:森田さんや恒ちゃんがレコード持ち込んで居候していたところへオレも何度か行ったよ。マコ*のハウスが斜め前にあって…。
M:そうだ、日芸ん時にバンドやってたわ、プリフライト。藤本とかと。最初オレがドラムだったんだけど、シータカが入ってきたの。シータカって (笑)、古田タカシ。その前にマキオズ*にいたのかな、その頃って中学生で。
D:ほうほう、天才ドラマーてなとこ?
M:そうそう、猪俣猛の秘蔵っ子だった (笑)。
D:時代だなあ (笑)。
M:その後にシータカはジョン山崎のスクールバンドへ入った。ゲッセマネにもいたのかな。
D:ああ、ようするに森田さんはシータカ入ってオン出されたわけだ (笑)。
M:ヒヒヒ (笑) まあマネージャになったけどね。
D:プリフライトはプロ志向があったわけ?
M:ぜんぜん。でもライヴは結構やってた、ジァンジァンとか。
D:ロフトの当時のスケジュールにプリフライトの名前があったよ。
M:あそう? どこの?
D:荻窪。あの頃ってシモキタのロフトは単バンドでまあプロというか、それなりに知られた顔だったじゃない。で、荻窪は2バンド、対バンが基本でさ、そこにあったよ。
M:デビュー直後のサザンとやった記憶あるよ。
D:ん? プリフライトと?
M:いや、それはボブズ。高垣さんがちょっと入れてくれない、とか言って。
D:ビクター繋がりってことね。じゃあ、ボブズ前のプリフライトで大学時代なんだ。
M:ん〜どうだっけ、はっきり覚えてねぇなあ。ただボブズのマネージャ宣言をしたときははっきり覚えてるよ。え〜とね、横浜での新年会で。
ボブズの連中はタカシが…日芸だったけど地元は戸塚区でさ、連中は皆横浜の戸塚区なんだよね。で、タカシが横浜へ遊びに来いよとか言うからさ。
D:ライヴはすでにやってたの?
M:ん〜、パーマネントではやってなかったかな。
D:じゃあなんで知ってたの? 前にちらっと聞いたよね、ナミさん*とかがやっていた横浜の音楽サークルとかっての…。
M:そうそう、それね、横浜のフォーク…フォークブルース系かな、集まりみたいなのがあってさ。
D:何だっけ?
M:「アゴラ」
D:アゴラ? それって誰それがメンバーで、定期的にイベントやるとか…そんなサークル然としたもの?
M:でもないなあ…。出入り自由、かなりアバウトな感じで…。ナミさんや井上*と、タカシもそこにいたのかな。
D:井上ってケンちゃんだよねえ。昔森田さんから聞かされた話は、ケンイチさんが学生時代で、一度ギターを弾き出すととまらない、やめろっていっても耳貸さずに弾きまくりでまいったとか (笑)。
M:ああそんなだったなあ (笑)。
D:いまと全然違ってたとか。
M:まあそれで、タカシんとこの飲み会に誘われて行って、吉田もいたのかな、そこでじゃあオレがマネージャやるよって…言ったんだよね。三年後にメジャーデビューって (笑)。
D:それって叶ったわけ?
M:え〜と、二年目で目処が立ったな、結局出たのは四年目だけど…。その時はオレはマネージャやめてたけど。やってた時はライヴハウスへずいぶん売り込みに行ったね。当時は小屋も多かったから。屋根裏ができた頃。
D:なるほど、ブッキングするに困らなかったと。
M:そうそう、地方でも、千葉や宇都宮や…。
D:三ノ輪にモンドがあったよね。
M:あったあった、けっこう出たよ。あと高崎の仮面館、宇都宮か?これは…。
D:蕨にもあったよね、ハルヲフォンの当時音源CDが出たんだけどそれって浦和ロックンロールセンターのフリーコンサートの音とその蕨のライブハウスの音源なんだ。
M:ああ蕨ね。長野には仏陀ってのがあってさ、そのまま廻るわけよ、その足で金沢…京都へとか。車ひとつでよくそんな長旅したもんだよなあ。
D:でもトシちゃん*、いまでもそれやってるじゃん。凄いよね。
M:そうそう (笑)。
D:でさ、それはボブズのマネージャじゃない。それは三年ぐらい? で、オレンジ*はどうなってたの、オレカンのマネージャもやっていた?
M:うん、後半。最初は和重ってのがやってて。
D:あ、和重さん…名前は聞いたことあるなあ。
M:でね、途中から豊島園のスタジオ*で練習するようになって…。
D:山口さんのところだよねえ。それはオレカン? ボブズは関係ないの?
M:いや、ボブズもやってたよ。ユーフォニックって名前になる前のこと。もともとはGSスタジオっていってたんだ。
D:あそこって山口さんの家…だよねえ。スタジオオーナーが山口さん?
M:そうそう。
D:そこをベイブリッジカンパニーって名前の事務所にするわけだ。
M:その前に、そこで練習やっててしまいにゃ寝泊まりするようになって (笑)。飲んじゃってもう帰れな〜いとか (笑)。
D:ひどいねえ (笑)。
M:山口くんは酒飲まないからね、しょうがねえなあって見ながらニヤニヤしてて…。そのうち音大生の金子飛鳥って娘、バイオリンの子を誰かが連れてきたり。ほかにもミネソタファッツもGSスタジオに出入りしてたかな。それじゃあ何か組織にするかって話になってベイブリッジって名前を付けたの。
D:会社?
M:事務所だね。でその頃は和重がやめたのかな、ならばってんでオレがボブズもオレカンもまとめて…ね。
そんな看板を出したから、じゃあスタジオもちゃんとするかって山口くんが思ったんじゃない? ユーフォニックてことで地下にはちゃんとした録音スタジオ作ってエンジニアも雇って…。でさ、山口くんはオレンジのベースになっちゃってさ。
D:そうだよねえ、山口さんは正式メンバーとして…何枚目だっけ、名前あるよね。
M:そうですそうです。けどその後は覚えてない (笑)。
D:ベイブリッジは…どうなったの? うやむやに終わった? スタジオ経営はちゃんとしたビジネスになっていったから、ビジネスにならないあんたらはちょいと邪魔だぞ、とか (笑)。
M:そうそう (笑) オレもボブズのマネージャをやめたし。いまの前田のカミさんにバトンタッチした。オレは前後して『ヤングギター』*に書き出してからね、ライターが本業になってた。