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D's Talk session #04 with 高瀬康一

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【高瀬康一】design-illustration
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※音楽趣味同様にポップなセンス全開のグラフィックワークはさすが。ブライアンと深く関わったワンダーミンツのファンサイトで知り合った高瀬君。ウェブにさほど入れ込ん
ティンパンアレイ:Tin Pan Alle
アルドン:Aldon Music_ ドン・カーシュナーとアル・ネヴィンズによって設立された音楽出版社。"Brill Building Sound"
Go Go Niagara:LPではなく、大滝詠一DJのラジオ番組
FEN:Far East Network_在日米軍放送
ジム・ピューター:以下含め、FEN放送で聴けたアメリカのラジオプログラム_いわゆるオールディーズ番組
【ロンバケ】:大滝詠一【ロングバケーション】/LP発売は81年3月
エヴァリー:Everly Brothers_ドン&フィル兄弟デュオ/そのハーモニーは以後の音楽に絶大な影響を与えた
えとせとら:蒲田えとせとらレコード
Vanda:ソフトロックを紹介した音楽同人誌

D(以下denny):え〜と、ひと回り差かな、70年代リアルタイムのオレと80年代の高瀬くんとで〝ポップスの入り〟がどう違っていたか、なんてことをお題にしようかなと…。自分のことからいくと、70年頃…パートリッジ・ファミリー、TV放映もあったし、どか〜んとツボでしたな。《悲しき初恋》ね。それとカフ・リンクス《トレイシー》あたりからだね。《na na hey hey kiss him goodbye》、スティームか…これが69年の曲で70年初頭に1位じゃなかったかな。《ヴィーナス》あたりも…。

T(以下高瀬):エディソンライトハウスは?

D:そうね、この頃だった。

パートリッジはティンパン系列に属するんだろうけど、そういう知識はもちろん後から仕入れた (笑)。ティンパンアレイ*、全盛は60年代だからオレのリアルタイムでは消滅しかけていたのかな。

そのティンパン/アルドン*といえば、やっぱり大滝詠一の影響がほんと大きかったよね。ただ自分としてはちょいと微妙…他のポップスオーソリティ、亀さん/朝妻さん/木崎義二さん、それに八木誠さんなど…そういう人らの文章で先にティンパンアレイなんて言葉を知ったのかなとも思う。大滝はミュージシャンだったわけだから。

T:奥山さんは『Go Go Niagara』*を聴いていたんでしょ?

D:聴いていた。あれ何年からだっけ?

T:75年?

D:そうか…。ナイアガラのレーベルをやりながらのDJねえ…。

T:そうすると奥山さんは、木崎さんや朝妻さんの文章で覚えたことを〝音として〟ちゃんと聴けたのは大滝さんのラジオから…音源として聴けたことは大きかったんじゃないですか?

D:そうね、それは大きかったなあ。たしかに知識で覚えただけだったから、その前までは。前後してFEN*も聴き出した…ジム・ピューター*/タイムマシーン/ディック・クラークなんかも。

T:僕らの世代はそういう…『Go Go Niagara』をリアルタイムに聴けた世代が羨ましくもあって、まず【ロンバケ】*…〝なんじゃ、コリャ !? 〟って驚きでしたね。凄かった。そこからさてポップスを聴いてみようかの段になって。でもあまり無かったですよ、ブツが。オールディーズのリバイバルブームみたいのがちょっとあったけれど、世の中はそんな感じじゃなくて…エヴァリー*やバディ・ホリーを聴こうとしてもすぐに買えた記憶はないですよ。中古盤を…えとせとら*でやっと、だったかな。

D:ロンバケは…何年?

T:81年。

D:音楽に興味持ち出した時、ロンバケはすんなり入ってきた?

T:僕の場合は、姉キがいたんで…ビートルズの赤盤/青盤をいやってほど聴かされて…聞こえてきたんですけどね、それで小学生で大のビートルズ好きになってました。なかでも、ロイ・オービソンやエヴァリーっぽい曲が…。

D:ハーモニーがあってメロ重視というか。

T:そう! 甘酸っぱい曲というか…なので大滝さんのLP聴いたときに、自分の聴きたい物/趣味ってのはこの手なのかという思いを持ちましたね。ドリーミングな曲…。

D:琴線に触れる…。

T:ええ、琴線に触れる (笑)。

D:その意味ではいわゆるポールのメロディメイカーぶりに…?

T:いや、ジョンも《ask me why》とか甘い曲も書いてるし。初期の盤ではジョン/ポールという意識はなかったですね。

D:ということはそこらが大滝のロンバケで一気に噴きだした?

T:あとモンキーズのリバイバルブームもありましたよね。

D:CMだっけ?

T:コダックかな。で、TVで再放送もあったんですよ。あの世界観というか…音楽も好きだったけどあの雰囲気全体がハマりましたよね。モンキーズってアルドンじゃないですか。

D:アルドンのど真ん中って印象だよね。

T:自分のなかではイイ時ににロンバケが登場したな (笑)…そう思いましたね。

D:ロンバケってシングルヒットがあったわけでもないし、大滝がベストテンとかTVに出てくるわけでもなかったよねえ…それって中学生にとってはどういう代物だった?

T:僕の場合ですけど、その前に松田聖子というのが大きかったんですよ。自分が所属していたバスケ部にやっぱり松田聖子好きの友人がいて、彼が聖子からたどってロンバケにいってたんですね。で、LPを聴かせてくれたと。

D:中学生でも…って言い方も変かもしれないけど、《風立ちぬ》は誰が作っているなんて意識まであったの?

T:あった子もなかった子もいたんですけど、「あった派」はかなりの音楽通になっていったんですね。それでも当時は、僕は大滝詠一が新人と思ってましたからね。やけに歌うまいゾこいつ…とか (笑)。

D:その前にナイアガラってレーベルがあったとか、もっと戻ればバンドの一員だったなんてことは…。

T:全然、知らなくて。同時期にYMOがピークだったんですけど、僕はそっちにハマりませんでしたね。

D:その時分までは中学生でも普段の生活で音楽のウェイトが大きかったんだなあ…。"No music, no life" (笑)

いまは無いよね。AKBが好きといっても音楽じゃないもんなあ…誰それが好きとか総選挙に興味が、とか。

T:音楽のプライオリティはめっちゃ高かったですよ。

 

T:自分がブログで書いていることがマニアックとよく言われるんですけど、そういう意識はないんですよね。大滝詠一とか山下達郎って当時大メジャーだったわけで、そういうポップスをずっと聴き続けていたらメインストリームがずれていって…メインだったはずが僕のほうが脇に追いやられていたんですね。

今ブログやってるのも、ロックは語られるべきでポップスは…この場合のポップスとは主に60年代アメリカのポップスですけど、ポップスは語るほどのモノにあらずというジャーリズムというか…それにアンチな思いがあって…それほど大げさじゃないけどそういう思いはありますよ。

D:それは、Vanda*…佐野さんの立ち位置に近いね。フィフス・ディメンションを誰もが無視するなら俺が語るぞ、とか (笑)。

T:Vandaは「渋谷系」とか「フリーソウル」なんかとカブりましたよね。あまり語られない中に実はお洒落な音楽があるゾ、とかの。「ソフトロック」ってどうなの? …とね。

D:佐野さんとしては〝お洒落〟のオの字も意識になくてただ自分が好きな音楽があまりに無視されていて、業を煮やしただけだったのに…妙にハマったんだよなあ。 

T:さっき奥山さんが出したカフ・リンクスなんか…どこにも書かれてなかったですよね。トニー・ハッチとかトニー・マッコウレイなんてちゃんと書かれたのを読んだの Vanda が初めてだったかなあ。

D:ジェリー・ロスとか…。

 

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