D:子供ばんどですけど、最初は East-West * の際のトラでやったとか?
Y:そう。でもデビューの時に声がまたかかったからね、それから3年やったわけです。最近も「子供ばんどの時からファンでした」と言われたことがあって、でもよく話を聞くとそれって僕の抜けたあとの事だったりする(苦笑)。
D:うじきさんはどこの方ですか?
Y:目黒の…いや住まいは世田谷だったかな。
D:あ、そうですか、いや、子供ばんどって埼玉…上福岡のバンドと思っていました。のらろば * によく出てましたよねえ。そこで観た記憶があるんです。確か上福岡のバンドに、子供ばんどとアナーキーがあるって話だったな (笑)。
Y:子供ばんどは埼玉でウシャコダが千葉って言われていたよね。
D:ええ、柏でしたよね。
Y:子供ばんどは3年、キャニオン時代だけでソニーへ移籍の時は抜けていた。初期の3年ですね。
D:あぁそうですか。なんか自分のなかでは子供ばんどのベースはトーベンさんというイメージですけどね。でね、ベース話ですけど、ハート・オブ・サタディ・ナイト時代にシンコペ指弾きしていたトーベンさんが、まあバンドカラーだから当然かもしれないけど、ピック弾きでガンガン行くブギーベースに…僕のなかでは180度転換みたいに見えたわけです (笑)。あれれ?トーベンさん、ど〜しちゃったかなぁ…てね。
Y:ピック弾きは子供ばんどで始めたんです。ライヴの対バンとして最初にこのバンドを観て…僕はハート・オブ・サタディ・ナイトだったんだけど、すごく面白かった。コントみたいなことやったり無茶苦茶だったけど、曲はオリジナルもやっててそれがすごくポップだった。うじきの声もいいと思ったしね。
D:それじゃ「ポップ」という部分でトーベンさん的にはハート・オブ・サタディ・ナイトも子供ばんども底通すると…?
Y:やってることはまったく違うように見えたかもしれないけど、まったく一緒でしたね。全然暗さが無くてカラっとしている…とにかくポップな事をやりたかったし、それはいまも変わらないな。
D:単純に「ベース」ということでお聞きしたいンですが、指弾きでシンコペーション利かせていた時とかに、想像するのはNY系の、ジャズがバックグラウンドにあるスタジオ・ミュージシャン_まあ代表格として Chuck Rainey の名が挙がると思うんですが…。
Y:いや、自分としては全然分からないンですよ、彼らがどうやって演奏しているのか。細野さんとかも好きだったけれど、やっぱり分からない (笑)。つまりは…〝なんちゃって〟だったんですね (笑)。だいたいこんな感じかなぁ〜ってレベルで。
D:じゃあ1枚のアルバムに入れ込んで全曲のベースを完コピなんてことは…?
Y:まったくないですね。ずっと〝なんちゃって〟、当てずっぽう (笑)。黒人ぽくやりたいとか、だれそれ風もなくて。当時なら「16を弾いているつもり」でしたね、今聴くと落ち着きないベース、ほんとに。
D:そうですか? 僕は上手いなぁ〜って聴いてたんですけど。
Y:それは欺されてます (笑)…
D:いやそれなら欺され続けますけどね (笑)。
それでは、ベースに限らず、70年代のアルバムで影響された盤を何枚かと尋ねるとどんな盤が今、思い浮かびます?
Y:う〜ん…日本語を楽曲に乗せるという意味でやっぱりはっぴいえんどのアルバムは大きかったですねえ。そうか、こんなやり方もありなのかと…もちろん彼らも手探りだったわけですが、新鮮でしたね。遠藤賢司なんかにもそう感じた。Peter Gallway のソロもよく聴いたなあ。Neil Young 【after the goldrush】、何年でしたっけ?
D:72年ですね。
Y:当時、レコードじゃないんだけど、ライヴをよく観てましたね。特に渋谷のジャンジャン。安くいろいろと観られたから_はちみつぱいや小坂忠さんとか、乱魔堂とか…そこら辺の影響もやっぱり強いです。
D:ジプシーブラッドとか?
Y:好きでしたね。ヒョコ坊 * のストラトのハーフトーンが絶妙で…。対バンも何回かやりましたよ、神無月の時代かな。
D:そうですか、ハート・オブ・サタディ・ナイト時代ではなくて?
Y:ハート・オブ・サタディ・ナイト時代にはどちらかといえばポップス寄り…ストロベリージャムってバンドとか、マガジンとか愛奴とか、その辺が多かった。
D:マーブルヘッドメッセンジャー? サザンの毛ガニさんがいた…
Y:日大のバンドでしょ、たしか。
D:そこのヴォーカルだった今井さんという方が…、ワタシはブログでその頃のことを書いるので、そこへコメントをくれましたよ_懐かしい話だって。
Y:なんかそこら辺の、当時のバンドのメンバーを全部網羅したすごいサイトがあるでしょ。あれ、誰がやってんのかなあ?
D:はいはい、ありますね。僕もどなたか知りませんがあれは凄い。写真をあれだけ入れているのが凄いですよね〜、当時の雑誌_ヤングギター/ガッツなどからの切り抜きでしょうけれどよく持ってましたよね。ハート・オブ・サタディ・ナイトも写真があるんだから驚きですヨ!
Y:貴重な文化財の域ですよ。当時の物が、気をつけないと何でも無くなってきてますからね。
D:資料はないんですけど音源なら負けませんヨ (笑)、僕…と兄キとでですけど70年代のライヴ音源は相当残してますから。
Y:それは貴重です、ぜひ世に出してください。
D:ホールにしろライヴハウスにしろ、たいていはテレコを持って観ていたんです。荻窪/シモキタのロフト、屋根裏、三ノ輪のモンドとかね。
Y:モンドかぁ…僕らも出てましたねえ。そう、モンドでの前座…いや対バンなんですが、出番はウチのバンドの前だったのがアルフィー (笑)…そんなことがあったんです。
D:トーベンさんはほんと、ライヴ人生の達人とお見受けします。現在の活動としてはエンケンバンドと…子供ばんどもですか?
Y:昨日ツアーから戻ったところなのが村田和人バンド。それとエンケンバンドはもう…20年超えたかな? ずっと続けてます。子供ばんどは、昨年アルバムを作ったんですけど、まあ全員がミュージシャンというわけでもないので、イレギュラーな活動です。フォークロックスや天月という爆音バンドもやってます (笑)。ソロもね…。
D:娘さん、(湯川)潮音さんの活動では何か?
Y:いや、ベースはいらないんで (笑)。でも独自の音楽世界を持っているから、頑張ってますよ。小さい時からレコーディングの現場とか連れて行ってるから…エンケンに頭撫でられたりね (笑)、本物を見て聴かせていたのは大きいと思います…。
D:羨ましい環境ですね。羨ましいといえば、トーベンさん自身も今日までミュージシャンとして活動されてますけど、かつてのミュージシャンも大半は、志半ばで足を洗ってるわけじゃないですか…。
Y:それはただ単に続ける意志というか…。それよりも、これしかできないンですよ。プロデューサーになったり作曲家になったり(音楽スクールの)先生になったりとか…いろいろな人いますけど、僕はできないですね。現役で音を出し続けるしかやりようがないというか…、スタジオミュージシャンでもないし。ライヴが一番自分のやりたい事を人に伝えられる…だからこれをやるしかないんですよ。誰かに羨ましいと言われれば、じゃお前もやりゃイイじゃん…と言うしかないですよね (笑)。
D:ライヴ一筋ですねぇ。
Y:エンケンバンドで思い知らされたんですね。「輪島の瞳」って曲なんかエンケンとトシ * のふたりのバトルが延々続くんだけど、その時にべースかかえて見てるだけの俺って、ほんと何もできないな_二人がすご過ぎて、このバンドにいて申し訳ないと思って…。それで自分一人でもやれるように、やってみようと思って歌も始めたんですよ。それならアルバム作れるし、ひとりで勝手に全国廻れるし…今回のベスト * (CD)も「勝手に」なんですよ (笑)。
バンドのなかにいると3分の1、4分の1なのね。そうでなく、すべてを背負うことも必要だったことにやっと気付いたって事かなぁ。どんな職業でも一緒なんだろうけどね…強い弱いとかでもなく、とにかくやれることをヤル…それだけって事かなぁ。
D:羨ましがってないでオマエもやってみろよ、と…。
Y:みんな出来るんだもん、俺なんか才能あると思ってないし…。一時、もういいかなあ_音楽でやることもう終わったかなあと思ったことも正直あるんですよ。でも思い返したというか…まだ少し伸び代があるはずと。歌がね、もうちょっと上手くなれるかもという思いがあるんですよ。
【140115 三鷹「喫茶 しもおれ」】