ブログに書いたネタを再構成。たまらなく好きだった80年代バンド、日本のバンドです…【スクーターズ】のことを。
ヒットがあるわけでもなく、熱狂のライヴバンドだったわけでもない。デザイン本業の趣味人が集まってのパーティバンド。80年代に流行りだった、デザイナー/カメラマン/スタイリスト/イラストレーターなどカタカナ商売人によるバンドの結成、そのひとつ。スクーターズは、一部で受けた…センス抜群、イカシたバンドだった…。
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お洒落な音楽の代名詞だった「渋谷系」、いまでは懐かしさすら感じる言葉。フリッパーズギター/オリジナル・ラヴ/ピチカートVで渋谷系御三家だったでしょう。彼らを裏で支えた…グラフィック/ビジュアルを一手に担った人が信藤さん、信藤三雄氏。音楽関連のデザインに携わる者なら誰もが知る有名デザイナー/ディレクター。ユーミンからスマップまでも…。
その信藤さんはコンテムポラリー・プロダクションというデザイン事務所を主宰し仕事を続けている。事務所を立ち上げた直後がその前か、80年代の初期に、デザイン仕事仲間を中心に結成したのがスクーターズだった。
オリジナル・ラヴのファーストLPが91年7月。その年の春、ワタシはイラストの売り込みに信藤さんの事務所へ伺った。結構受けて丁寧に見てくれた。
その時に「デビュー盤のジャケを作っているバンドにハマったからもう少し前に見せてくれたら…。ジャケの写真は撮り終えたばかりなんだよね」と言われた…それはオリジナル・ラヴ。(それでもパール兄弟のミニ・アルバムCDにイラストを使ってくれた)
その時に、「スクーターズの大ファンでした。ライヴも観てましたヨ」と言ったら照れていたな…「ふ〜ん、そんな人もいたんだねえ」なんて謙遜していた。
前述「カタカナ人バンド」のなかのプラスチックスは、イラスト界の大御所であった亡きペーター佐藤周りのスタイリストやデザイナーの集合バンド。いわゆる〝テクノ〟バンドであり、他のカタカナ人バンドも含め、どちらかといえば英国/UK志向が強かった。そのなかでスクーターズはガチにアメリカ志向、ブラック/ソウル志向だった。
ペーター佐藤と並ぶ有名イラストレーターが湯村〝テリー・ジョンソン〟輝彦氏。イラストでも大物だが、ブラックミュージックの権化として/「甘茶ソウル」の教祖として/レコードコレクターであり独特文体での音楽文章でもよく知られる。氏の周りのブラック・フリークなデザイン関係者で結成されたスクーターズ…いわば湯村チルドレン。
リーダー信藤さんを中心に女性5名/男性4名、9人バンドという大所帯だった。
ワタシはどこでこのバンドを知ったか、今では定かではないがそのLPを心待ちにしていたのは確か…デビュー前から注目していた。ひとつ覚えている事がある。
大阪のフォーエヴァー・レコードは日本中の〝コレクター〟が一目置く有名店だが、ここが出していた「Forever magazine」はそのコレクターらが偏愛する対象に関する一文を集めた雑誌だった。その中に信藤さんも少し書いていた。スウィートソウルに関してであったか…なかでフローターズ《float on》が「甘茶ソウルの最高傑作」と評していたのが忘れられない。ワタシ自身もそう思っていたから。全米ポップチャート2位まで上がるミリオンヒットだが見事なまでの一発屋、77年のこと。〝この人は分かっている〟と生意気にも感じていたわけで…(笑)。(追記:これは時間的におかしいな。フォーエヴァーマガジンの発売はバンドの活動停止後だろう)
02
ともかくも、スクーターズというバンドをすっかり気に入り、ライヴに足を運ぶこと三度。
買ったレコードは:
A : LP【娘ごころはスクーターズ】(82年7月)
B : 7" 《東京ディスコナイト/恋のバカンス》(83年5月)
C : CD【娘ごころはスクーターズ】(徳間ジャパン/92年4月)
D : CD【tribute to Terry Johnson : Pillow Talks】(01年10月)
E : CD【Scooters complete collection】(03年7月)
活動中のリリースはLP1枚/シングル1枚。レアなコンピレーションLPの中の1曲が実質デビューなので、その盤を持っていないからコンプリートではない(「E]盤CDに収録されている)。
最高にイカシたバンド…と評したのはワタシだけではない。というよりもワタシの評価などは屁のようなモンだが、今日スクーターズが少しでも知られているとすれば、それは小西康陽という音楽家 (ex-ピチカートV ) が何度かコメントしたことによるのでは。
『最高のパーティバンド、あんなバンドをやりたかった!』…という。
メンバー交代はあったようだがデビュー時のメンバー:
ロニー・バリー/星野節子 lead vocal
マミー“金魚”カガヤ/加賀谷彩子 vocal
ビート“大文字 daimonji”ヒミコ/石田起美子 vocal
ヨコハマ・ヤッコ/中西保子 keyboard
ザ・ルーシー/相良智子 sax
マギー・シン/信藤三雄 guitar
ミンダナオ“ペリカン・キッド”イトー/伊藤哲身 bass
ハワード・カンプ・イチロー/山田善則 drums
ターバン・チャダ・ジュニア/高橋秀幸 MC & percussion
メリケン風カタカナネームはテリー湯村氏周辺でのお約束であった(永井〝ペンギン・ジョー〟博、キャロライン霜田…)。
キャッチフレーズは『東京モータウン・サウンド』であった。
フロント三人が、シュープリームス/ヴァンデラス/マーヴェレッツ等々モータウン・ガールズ・グループを彷彿させた…センターのロニー・バリー/サイドにマミー・カガヤとビート・ヒミコ。ステージ右手にMCのチャダがタンバリンを手にしている。左手にはサックスのルーシーが控える。ボーカル三人とルーシー、それにキーボードのヤッコの五人がそろいのワンピース…ガールズグループお約束のタイトなそれを見ているだけで気分は盛り上がった。リズムセクション三人はコンポラ・スーツ。全体でまさに〝モータウン・レビュー〟だった。
まずは格好から入る? これは、湯村氏も熱烈支持したシャネルズが黒炭を顔に塗って登場したこととカブる(MCのチャダは同様に顔を塗っていた)。
オリジナル楽曲の良さ、これが一番の魅力。次ぐのは、リードヴォーカル=ロニー・バリーこと星野セッちゃんのウルトラハイトーン・ヴォイス! かき氷を一気食いしてキ〜〜ンと来るような!その声がなんともよくて…。
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意外や、メジャーなワタナベプロと契約していたスクーターズ。それにしては宣材が皆無。なので活躍時を人に知らせにくいバンドなのです。ナベプロ、『ヒットパレード』を作っていた洋楽好きな会社なので、あわよくばシャネルズのようなオールディーズ物として当たるかもという期待であったか…。
あの頃、B全判ポスターを1枚…どこで手に入れたかワタシは持っていて、机の前に貼っていた。とはいえバンド集合の写真ではなく、写るのはルーシー嬢たったひとりという…それも、顔はほぼ隠れていたな、薄暗い照明下にサックスを手にして横たわるネグリジェ姿の彼女だったような記憶なのです。片隅に「オロナミンC」の瓶。当時、師匠格のテリー湯村画伯がオロナミンCの広告イラストを描いていた。その絡みでマジに広告ポスター? それともパロディだったかは不明。(追記:「ネグリジェ姿」って…。違いました、2ページに入れたPVの中程でルーシーがサックスソロを吹く映像、この姿と思い出した。ピンクのサテン地に赤いドレスだったと)
文字かぶりでちょっと見にくいが、(E)盤コンプリート編集CDのインナーになっていた宣材フォトを見てもらおう。これが当時のレギュラーな姿なので。
向かって左端がロニーのセッちゃん、どうでしょう、ワタシはマーヴェレッツのグラディス・ホートンに似ているなあと見ていたが。^^
セッちゃんがしっとりと歌うバラッドもあったが基本アップナンバー、ダンサブルな楽曲がメイン。なにしろとびっきりのパーティバンドなので。
MCのターバン・チャダ・ジュニア。〝チャダ〟があの「演歌インド人」からなのは、昭和な人には分かるよね。なぜ顔は黒塗りなのにアフロアメリカンでなくターバンを巻いて「インド」していたのかだが、これも湯村師匠周辺を知ればおのずと答えは出てくる。要はこれでもインドではなくて、やっぱりUSブラックなのだろう。湯村氏の趣味でターバンさせていたと想像できる。黒人ドゥーワップグループ、ターバンズのマネをさせていたと…。
このターバン・チャダ氏だが、正直ベシャリがあまく、MCというには…気分で見ていた。ただハーモニカで〝リトル〟スティーヴィー・ワンダー役、《fingertips part 2》のカバーでの頑張りは見物、好きだったな。
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