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D's Talk session #19 with 斉藤哲夫 page_2

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ポール・バックマスター:英国のストリングスアレンジャー_クラシカルなスコアを得意とする_エルトン・ジョン・ワークで知られるように
次利:後藤次利_ベーシスト

D:そうするとその頃から、後にはちみつぱい〜ムーンライダースとなるメンバーとの親交が始まっていくわけですね。

S:う〜ん、森魚はしっかりくっついていたけどね、録音もステージも…。僕はそっちとはあまり…どっちかといえばオーパス組だな。慶一がはちみつぱいを始めたから、ピアノはオーパスの岡田が…勝に紹介されたのかな、凄いテクニシャンでね。エレピとギター…ふたりで(ギグを)やっていたら、岡田がギターもう1本入れようと言い出して…(歳は)下だけどオーパスにいいのがいるって。それが白井。

D:白井良明さんですね。 

S:三人でやってたら、岡田と…その何年後かに白井もムーンライダースへ引き抜かれてね。まあソニーに移ったときのバックは岡田と白井だよ、【バイバイグッドバイサラバイ】。

D:そうでしたね。<リイシューCDのブックレットを取り出して参照

 

D:斉藤さんに一番伺いたかったのは…《悩み多き者よ》の、ディラン的なメッセージフォーク色が強いデビューだったじゃないですか、それがCBSソニーで…。

S:ポップになった? (笑)

D:はい (笑)、そこがどういう変化だったのか、どうしてああなったかという点が…。 

S:世間では〝ディラン〟という決めつけ方をするじゃん。でも俺のなかでは…後で考えるとだよ、ジャケが「8分の6」、あれは6/8拍子なんだけどさ…(裏)ジャケット見ても葉っぱに対抗して俺がいるわけよ、あれ新宿御苑で撮ったんだけど…ジョン・レノンなんだよな。

D:斉藤さんの気持ち的には?

S:《Like a rolling stone》みたいのを作りたいという気持ちはあったよ…それが「8分の6」って出てきて、まあディランもあって…でもジョンなんだよな、【ジョンの魂】なんだよ。

D:なるほどねぇ。ただ僕はディランが苦手でほとんど聴いてないんです。ポップとメロディ志向なもんで…。斉藤さんのURC盤はちょっとね (笑)…、でもソニーに移っての盤が大好きなんです。あそこで、メッセージ色が消えたのはどういう気持ちの変化ですか?

S:ましてね、当時は筋通すなんて気持ちはこれっぽっちも無かったのよ。アマチュアなんだから。やりたいことをやるだけでさ、「8分の6」の時はディランだ何だって云われる時代にいて…。なんて言うかなあ、「ああいう形」としか言えない。自分じゃないんだな…ディランになりたい、ビートルズになりたい…というだけなんだ、まだ。

D:ディランという意味ではやっぱり歌詞…ですね、メッセージ的、強い歌詞があったと思うんですがその意識ですか。

S:うん、う〜ん。はっぴいえんどはうまく変わったよな。あれって (Buffalo) Springfield とかだろ?

D:あと、Moby Grape とかですかね。

S:うん。そこからYMOになったりするけれど…、俺はマイナーだからさ、「若き哲学者」みたいになっちゃったけどさ、でももし大きければそんなに言われなかったよね、きっと。あいつの流れ方もありだよね〜とか受け止められてたよ。でも俺は最初にやり過ぎたな (笑)。18、19で人生がどうのって言っちゃったよね (笑)…。

D:いや〜 (笑)…僕は当時は歌詞に重きを感じないタイプだったんで、正直〝人生が〜〟とか歌われるのは敬遠してたんですよ (笑)。でもこの歳になると、人生半ばを過ぎてみて歌詞が染みるんですよ。やっと哲夫さんの歌が…。

S:俺も最近思うんだよ、やっぱ詞が重要だって! (笑)

D:そうですか。

S:でさ、やっぱり(髙田)渡なんだよ、僕らの中では。淡々と生きたよな…あいつが書いた詞曲なんて十数曲だろう。あとはほとんど言偏に寺の「詩」…詩人だよな。詩人の詩は凄いよ、命かけてんだもん。考えてみれば《生活の柄》なんてものすごくうまくできてるしなあ…やっぱり言葉なんだなとこの頃感じるヨ。

D:人生後半にさしかかって…自分なんか無駄にここまで来ちゃったよなあと感じるんです。

S:そんなことないよ。

D:まあそんなこんなで詞を思う気持ちも確かに出てきてるんですが…それでもメロディの魅力は別物なんですね。ずっと引きずったまま、今も好きなわけです。

そこで…斉藤さんの、特にソニー時代の盤ですけど。さっきジョンと言ってましたが、僕の印象ではすごくポール的…メロディ指向を感じるんです。

S:うん、ポール・マッカートニーもある。あっちこっちやっちゃったわけよ。やり過ぎたわけよ (笑)。

D:う〜ん (笑)。

S:今はさ、若手が向こうの音楽聴いて曲作るなんてことないだろう? 昔はさ、何千枚持ってるなんてのが勝負だったじゃない。だからさあ…え〜と、あの…和製のポップスの有名な書き手…、いるじゃない…。

D:え? 筒京平さん?

S:そうそう。筒京平なんか月に300枚ぐらい買ってたからね。アレンジ、メロディの参考に… (笑)。まさにその時代なんだよ。慶一がさ、ザ・バンドの《the night they drove old dixie down》な…、「哲夫、曲のタイトルできたよ」って言うわけよ。『泣いて泥棒 溺死した』…面白いなそれ!って俺言ったヨ (笑)、そんな時代だもん。

D:笑えますねえ (笑)。

S:そんな時代の一番ラストが俺はサザンだと思ってるわけ。(桑田氏は)おねえさんの影響で洋楽聴いてたんだろうな、うまく英語入れるじゃん…俺らが馴染んだフレーズだよな、難しいやつじゃない、それだとメッセージになっちゃうから。誰もが分かる言葉選んでる、まさにコピーライターだよな。

D:「語呂合わせ」っぽいところもありますよね。

S:そう、語呂合わせ。

D:その時代に…たぶん慶一さんや岡田さんなどは相当いろいろなレコードを買って、聴いていたと思うんですが、斉藤さんはどうだったんですか?

S:僕はね…聴いてないのよ (笑)。

D:僕の個人的なイメージだと、さっきポールの話を出しましたが、たとえば杉真理さんの BOX とか昔でいうとチューリップとか…そのすぐ裏側にポール/ビートルズが立っているような音楽がありますけど、それよりも斉藤さんのレコードが、アコギを中心としたポール的ニュアンスがもっとも如実に表れた盤だったと感じるんです。ポールはイギリス人だけど、お父さんの影響かなあ…アメリカのジャズやスタンダード音楽、R&Bもあったかも…そういうイギリスのフィルターを通したアメリカンミュージックというスタンスもありますよね。そこらが斉藤さん盤にはぴったりハマるような…。

S:僕はね、どっちかといえばイギリスだよ。

D:その意味で、イギリスのなかでもアメリカ音楽を吸収したシンガーソングライターたち、たとえばエルトン・ジョンやギルバート・オサリヴァンとか…斉藤さんは聴いていたのかと思ったりするんですが…。

S:もちろん聴いてましたよ。エルトン・ジョン…え〜と【madman across the water】の…なんて曲だっけなあ、ガ、ガ〜ンとポール・バックマスター * の弦が入ってくるやつとか!オサリヴァンもしっかり聴いたねえ。「たんび」だよ…。

D:「たんび」?

S:聴くたんびに、これいいなあと触発されるとすぐ曲になる。筋なんか通さないわけ、感じたモンをストレートに出す。…2、3枚で俺は終わってンだなぁ…そこから自分を追求するとこまで行ってないんだよねえ。【グッドタイム(ミュージック)】とかはまあ、ビートルズに近づいた感じになったかなあと、物まねになってないよなあと思ってる。

D:そうですよね! すぐ裏にビートルズがいるんじゃなくて、影響されながらも確固たるオリジナリティがあって、素晴らしいメロディを紡いだと思ってるんです。

S:その自負はあるよ。

D:僕を含めて、周りに斉藤さんのレコードを大切に感じてる人がたくさんいますが、同じように感じて聴いている…今でも聴いている、と思います。

S:でもね、ビートルズ聴いちゃうとさあ、とてもじゃないけど太刀打ちできないと思ってたけどね。

D:斉藤さんは、バンド指向は無かったんですか? バンドをやろうという意識は…?

S:バンド…を、やろうとしたんだけどねぇ…音楽を知らないわけよ。

D:音楽を知らない?

S:理論を。全部ああいう感じこういう感じ…長嶋さんみたいなモンだな、それしか言えなくて。感覚的にしか伝えられないと大変なんだな。もめた時に「哲っちゃん言ってること、分かんないよ」で、「そこ Am に6が入ってんだけどどうすんの? 」となるとさ、俺は立ち止まっちゃうわけよ (笑)。コンプレックスだったな。

D:う〜ん、斉藤さん的にはバンドやるにはそれなりの音楽知識を持ってしないと形にできない…と感じていたわけですね。そうですか…、ただ、凄いミュージシャンらがバックなんで当たり前ですけど、ソニーでの盤はきっちりしたバンド・サウンドになってますよねえ? 勝さんも「哲っちゃんはきっちりしたのが好きだから」と言ってましたが…。

S:うんうん。ただ彼らもね、そりゃ名前見ればトップかもしれないけどさ、当時は…それこそ《バイバイ(グッドバイサラバイ_曲)》やるのに、ド_ド_ド_ド_…シンプルなツービートじゃない、これができなくさ、「次利 * 、そこどうする? 」とか…動くビートはできるんだけど、これはできなくて苦労したな。ビートルズってそういうところあるじゃない、派手なところよりシンプルに刻むヤツが。みんな分かってなくて。俺が分かるかといえば、やっぱり分からない (笑)。

できた曲だけスタジオへ持って行って…「哲夫、これどんな感じ? 」と聞かれりゃ「ウ、ウ、ウ、ウ〜ンでウ、ウ〜ン」…「そうか分かった」って (笑)。カラオケ(バックトラック)が仕上がってから最後に歌入れしてたんだ当時は。その時に「違うんだよなあ〜」と(そのオケに)感じていたんだな、いっつも。それでもさ、チューリップの…《魔法の黄色い靴》と《心の旅》、この2曲ってビートルズ的アレンジがきっちりできてたと思わない?

D:思いますよ。

S:あんなアレンジをやりたいと思ってたよ。ウェストコースト(サウンド)はできたかもしれない、でもビートルズはなかなかできるもんじゃなかったよ。財津さんだって(ビートルズ的楽曲は)そんなにいくつもないだろう…アメリカンロックでお茶濁してるところもあるし…。ジレンマもあんだよ…《グッドタイム》のコーラスなんか…。

D:すごくコーラスが入ってますよねえ。

S:そうそう。でもジョンとポールのコーラスじゃないんだよな、アメリカンロック的な厚いコーラス。

8声ぐらいで、ダブル(トラック)にして作った。トラックバック聴いていいなと思ったんだけど、やっぱりビートルズのコーラスと違うんだよなあ。この前チューリップの上田君に飲み屋で会ったから聞いたのよ…「五度がいいんだ」ってわけ。でもそれだけじゃないだろ? 五度から展開するところもいっぱいあるわけじゃん…やっぱりできないんだよなあ。 

D:ジョンとポールが二人でハモっていくというところは、基本にあったのはエヴァリーブラザースじゃないですか?

S:ん、エヴァリーなの? なるほどなあ。…まあそれにしても、ビートルズのファンだったというわけでね。あそこに近づけたい近づけたいという気持ちがものすごくあってさ…いつの間にか8枚ぐらい出したんだけど、どうも筋の通らないアルバムができちゃったという…ごめんなさいだけどね。

D:いやいや、そんな事ないです。…でも斉藤さんとしてはアルバムを作っていて、完パケの演奏テイクに歌入れする段では、どうも違うんだよなという思いがあったと…。

S:いつも思ってた。

D:僕はあれが素晴らしいと思って聴いてました…今も聴いてますけど。ご本人としては満足いかない部分もあったと…。

S:やっぱ時間かけないとダメだよ。当時は作った端から即スタジオでさ、「哲夫、やろうよ。こんな感じでどう? 」で済ませてたから。

D:なるほどねえ。予算枠もあり、使えるスタジオの時間の制約に縛られた面も多分にあったでしょうねえ。

S:それと「人」かな。みんなほんとに知らなかったのよ、オリジナル曲をどうしていいか…。フォークならば簡単だったからさ、それなりになったよ…でもポップスはまだまだ手探りでしょう。その後ユーミンとか出てくるけどね…。

D:そうですねえ。細野さんを筆頭にティンパンアレイとして演奏から録音面に関して熟していきましたよね。

S:はっぴいえんどなんか最初からもの凄く時間かけてたもんなあ。

D:でもURCでは予算なかったんじゃないですか?

S:それでも時間かけてたんじゃない?

D:きっちり練って、練習積んだ上で録音に入っていたということですかねえ。

S:俺なんか2、3回練習でもう録音だったもんな。アルバムに《素晴らしい人生》ってあるんだけど…慶一がピアノやってる曲。それ、6分何秒の最後のところにふたりでコーラス入れたわけ。今と違って途中で入れられないから、ふたりして最初からテープ流してその箇所までずっと待つわけ。それで♪ア〜って2声を入れるんだけど、録って聞くとなんか違うなあ…で、また最初からよ (笑)。

なんか俺はこう語っていてもズルズルになっちゃうんだけど…慶一なんか上手いんだよなあ…。聴き手に対してのサービスというか…慶一はよく言ってたよ、俺は七色のジャケット着てるって。こいつは黄色だなと思ったら黄色のジャケットで出ていくんだ、ってね。それが今の時代でも生きられてる所以…だよねえ。

D:はあ…。

 

 

 

 

 

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