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D's Talk session #20 with 湯川トーベン
“ライヴ一筋四十年!”

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Mr
【湯川トーベン】yukawa tohben
※Denny's voice
佐橋君:ギタリスト 佐橋佳幸
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神無月唯一のシングル
ボブズ:以下 ボブズ・フィッシュ・マーケット/ オレンジ・カウンティ・ブラザーズ/ 夕焼け楽団/ アイドルワイルド・サウス/ めんたんぴん/ センチメンタル・
ビーバーズ:後にソロで活動した成田賢が在籍したGS。大ヒットはないが実力派として知られた。ギターの石間秀樹はフラワー・トラヴェリン・バンドで活躍
アルファベッツ:トーベン/サントリー坂本/向山テツのトリオでポリドールより2枚のアルバム発表_1st "Alright!" , 2nd "Birthday"

D (以下 Denny):トーベンさんは東京生まれということですが、東京のどこですか?

Y(以下 湯川):目黒の駒場です。…と言ってもそんなに高級な方じゃないけど (笑)。 そこで中二からバンドを始めて…。ギターの佐橋君 * が、僕の家の前を通るときに音が聞こえていた…って、そんなこと言ってましたよ。

D:当時お近くに住んでらしたということですね。

Y:歳はちょっと下の世代だけどね。

D:プロデビューが神無月というバンドですね。僕は神無月は知らないンですよ。ハート・オブ・サタディ・ナイトからなんです。というのも、まず兄キがライヴハウスで…ボブズ(フィッシュマーケット)かなあ、その対バンとして観たんですね。家に帰ってきて僕に言いました、凄くポップな曲やってるバンドを観た/ベースがとにかくバカウマ! とね。いや、今回トーベンさんとのトークだからで盛ってるわけじゃなくて本当です (笑)。凄いベーシストと言ったことをはっきり覚えてます。それで、当時は誰だか分からなかったわけですが…ベーシストへの興味もポップな曲というのも興味があって、僕も観に行きました。

Y:73年に神無月としてデビューして、解散後にギタリストだけ変わってハート・オブ・サタディ・ナイトになったのが…75年かな。

D:観ての印象は、ツインリードもカッコよかったし曲も凄く良かった…メジャーkeyのバンドでしたよね。めちゃポップだった。

 神無月はキングレコードからシングル1枚のみリリースだったわけですが、一昨年でしたっけ?_ディスクユニオンから2枚組CDとして当時のデモ&ライヴ音源をまとめて出ましたね…それを聴かせてもらいましたが、そこではポップなナンバーと当時らしいブルースロック然としたナンバーが半々でした。やはりイギリスのブルースロックあたりから影響されて、だんだんポップな路線へ変わったと想像しましたが、メンバー間の総意としてはその変化はどんな感じだったんですか?

Y:バンドを始めたのは中学で、67年だったからブルースロックな時代でしたね。最初はコピーで、少しづつオリジナルと考えた時に、日本語で歌うということがまったく手探りでした。

D:メンバーは中学時代からの仲間ということですね。

Y:ええ。お手本がなかったというか、はっぴいえんどや乱魔堂が出始めで、遠藤賢司みたいなソロの人も出てきて…フラワー・トラヴェリン・バンドなんかも…とにかくいろいろな音に影響された、影響受けざるをえなかったですね…。最初は Free みたいなことをやりたかったのかなぁ…メンバー構成的にもね。それからキーボードが入ってがらっと変わってウェストコーストロックの影響が強くなった。ただ、ヴォーカルの清水君がどちらかというと〝湿った〟系の曲が得意だったから、カラッとは成りきれなかったかなぁ…という気が今では少ししますけどね (笑)。

D:はっぴいえんどから Buffalo Springfield や Moby Grape なんて名前が出てきたンですよねぇ。

Y:そう。Poco とかね。そういうのを聴いて、そうかこんなのもあるんだと…とにかく初めてだったんですよ、聴くものすべてが。ブルースバンドから始まって、志向はどんどん変わりましたね。というよりも自分たち自身のことが分かっていなかったと言うほうが正しいかな。何ができるか、何がしたいのか…。そんな中で驚いたのはシュガーベイブを聴いた時ですね。メジャー7th 系のキラーッとした世界、こんなバンドがあるんだと。凄く新鮮でしたねぇ。それで Fifth Avenue Band, Peter Gallway, Lovin' Spoonful とかも聴き出して、ポップな事がやりたくなりましたね。それがハート・オブ・サタディ・ナイトの結成だったんですけど…今聴くとカラっと乾ききれなかったという感じですかねぇ…。

D:いやいや、僕はバッチリ〝乾燥〟を感じて聴いてました (笑)。僕も当時は凄くアメリカ音楽指向だったんですけど、ライヴハウスのバンドのほとんどはアメリカ指向というと、まず The Band ありき…そしてカントリーロック的なのがほとんどでしたよね。ボブズ * 、オレカン、夕焼け、アイドルワイルド、めんたん、センチ、ミネソタファッツやラストショウ、プリフライト…。そうじゃなく、ポップスよりなアメリカ指向バンドは少なかったですよね…シュガーベイブとハート・オブ・サタディ・ナイトが僕のなかで〝ツートップ〟でした。まあ大滝さんのとこのココナッツバンクとかもありましたけど。

 フィフスの名前が出ましたけれど、やはりウェストコースト系ではなくNYのポップスかなぁ…ジェームス・テイラーがバックに Section をつけてみたいな、ソウルのニュアンスもありきなポップス指向という音、それをシュガー(ベイブ)と同様にハート・オブ・サタディ・ナイトには感じていたんです。ツインリードも凄く良くアレンジされていてカッコイイなあと思いましたし、やっぱりトーベンさんのベースね (笑)…指弾きでシンコペ(ーション)がんがんに利かせていたじゃないですか。

Y:アハハハ…。

D:そこのとこ、よく聞かせてくださいよ。その後のトーベンさんのプレイとは違っていましたねぇ。高速指弾きシンコペ・ベースプレイヤー (笑)。

Y:いや、よく分かってなかったんでしょうね。16(ビート)が何かとか。今聴いて、落ち着きのないベースだなぁと… (笑)。

D:8から16、ブレイク、転調…すごく凝ったアレンジでやってましたよね。

Y:さっき挙げたフィフス、スプーンフル、それにバッキンガムズなんか…他のバンドがやらないカヴァーもバンドでやってましたよ。でもライヴね…ライヴバンドであることが一番だったなあ、スタジオバンドじゃなくてライヴでからっと乾いたサウンドを出したかった。

D:トーベンさんは、ず〜っと「ライヴ志向」って感じ、あるなあ。

Y:そうですね。変わらないですね。

D:少し戻りますが、音源的に神無月はシングル1枚でしたね。けれど数年前にCD発売で日の目を見たGSカヴァーアルバム、何曲かが神無月名義でした。あれはキングレコードお得意の「企画物」ですね?

Y:「ザ・グループサウンズ」だったかな…覆面バンドのアルバムという設定でね (笑)。キングの所属バンドが集まってカヴァーやって録音したんですよ。神無月と同期デビューだったチャーのバッドシーンとかVSOP…。

D:ハルヲフォンがメインというか、一番多かったですよね。

Y:ええ。他にオレンジ・ペコってバンドも…確かARBのキースがいたんじゃないかな? あ、バッドシーンは参加してなかったな…。その中でうちのヴォーカルの清水が「長い髪の少女」をやってます、それはVSOPがバックで…。本当は神無月ももうちょっと録っているんですよ。かまやつ(ひろし)さんの名曲、ビーバーズ * の「君なき世界」とか…なかなかいい出来だったんだけど。さっきの話に戻るけど、清水はこういう湿った曲にハマるんだよなぁ (笑)…。

D:それは聴きたいですね。未発表といえば、ハート・オブ・サタディ・ナイトと同様にLo-D の16ch 録音会で録ったハルヲフォンも残してるんですよ。

Y:当時の音源は貴重な資料でもあるし、世に出すべきですよ。僕はアルファベッツ * というバンドもやっていて、ポリドールからLP2枚出したんだけどそれもCDにはなってないなあ。ある所からCD化の話になったんだけどポリドールがマスターを出してくれなくてね…。 

 

 

D:70年代の東京のロックということで、トーベンさんの、アマ時代も含めて活動のなかでの仲間や印象深い対バン相手…どういう人たちがいたかということをお聞きしたいンですが…。

Y:ツェッペリンとか始めた高校生ぐらいからかなぁ。え〜と、ライバルバンドとしてはね、鈴木匠というギタリストがいて、後に PANTA のバックをやったかな…そのバンドがデューセンバーグという名前で。

D:デューセンバーグ?

Y:それがツェッペリン・バンドでね (笑)。それとチャーが…ガスマスクかな? そんなバンドでやってた。Greco か Gaban のSGを弾いて Grand Funk Railroad とかやってた。

 もうちょっと経つと、三軒茶屋のオデッセイという店に…ハート・オブ・サタディ・ナイト時代ね、ここによく出ていたんだけど、いろんなバンドがありましたね。小川銀次のクロスウィンドとかスペースサーカスとか、今一緒にやってるんだけどギターの高橋誠とか、カシオペア…フュージョン系が多かったかな。それと渋谷の屋根裏もよく出てましたね。同年代で活動していたという意識あったのは、センチとシュガーベイブ、それに四人囃子ですかね。神無月では郡山のワンステップフェスティバルに出てるんですよ。シングル1枚のみのバンド、LP出せなくて無名だったんだけどね。

D:でもメジャーのキング・レコードからだから…まあ今でこそ知られるシュガーベイブ【songs】ですけど、出たときはマイナーなエレックじゃないですか。それに較べれば音羽のキング (笑)。

Y:シュガーベイブといえば、ハート・オブ・サタディ・ナイトは途中でメンバーチェンジがあって最後のほうではパーカッションも…たまに手伝ってもらっていたんだけどそれは木村シンペイ君、シュガーベイブのLPに名前がある木村君でしたね。後にあがた君のヴァージン vs ってバンドへも参加していたシンペイ君。

 実は、まあ本人は忘れているだろうけど…達郎君にも電話したことがあって、バンド名…なにかイイのないかなとかキーボードいない?なんて話をね。

D:へえ…。バンド名といえばハート・オブ・サタディ・ナイト…。これが、アルバム名から付けたけれどトーベンさんたちは Tom Waits をご存じなかったと (笑)。僕の周りでは、トムウェイツのデビューというのがある種の衝撃でしたからね。イーグルス繋がりでアサイラムからなのにあんなにジャジー…それも極上のメロディメイカー、ほんと驚きでした。そのセカンドLPタイトルが【the heart of saturday night】で、3枚目の【small change】が出るか出ないかの時に初来日、久保講堂だったかな…仲間みんなで観に行きました。とにかく話題で相当な入れ込みがあった頃ですね。で、そのアルバムタイトルをバンド名…そうか、トムウェイツで来るか_そう思ったんです。

Y:全然意識なかった、音楽雑誌のレコード評を見ていて「このタイトルは言葉の響きがいいな」というだけで…。今なら怒られちゃうね、バンド名が「ホテルカリフォルニア」みたいなモンだから (笑)。

 

 

 

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