"All Carr : songs with guitar-playing by fabulous guitarist Pete Carr"

ここまでのレコのなかからピートのギターが冴える曲を個人的にコンピレーション、CDーRに焼いてみた。2枚作成。

 All Carr/Vol.-One

 All Carr/Vol.-Two

 

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#065
"Bobby Womack / Lookin' for a love again"
[ '74 United Artists/US]
<C:★★★★>

 素晴らしき前作『Facts of Love』に続くマッスルサウンド録音盤(1曲のみメンフィス/アメリカン・スタジオ)なのでいやが上にも期待が膨らんだのがこのボビー " You know what I mean ? " ワマックLP、パーソネルも四人衆にピート/クレイトン・アイヴィというバッチリの布陣。特に lead guitar はピートとワマックのみ。
 しかし一聴ではがっかり、肩すかし。ピートらしいプレイがほとんど聴けなかった。それに細かいクレジットをよく読めば、タイトルナンバーのギターは Tippy Armstrong 、2曲のギターには Rhino Rheinhardt なる名前があり、メンフィス録音曲は詳細なけれどギターは Reggie Young のよう…と、全曲ピートにあらず、残り曲でもほとんど目立たない。

 こりゃ参ったわいと想いながらも数回聴いていくうちに印象は変化、まず曲が悪くない。この頃がワマック最も油がのっていたのかなあ、熟したという感じで、聴き込むほどに良くなる法華の太鼓。艶のある歌声も良し、その声がマッスルリズム隊と完璧な調和なり。特にホーキンスのドラム。なのでメンフィス曲の別人ドラムに違和感あるし、だいたい取ってつけたようなこのLPへの収録の意味がまったく理解できない。

 よ〜く聴き込んでどうにかピートのプレイを拾えば、A-4 "Let it hang out" アップナンバーのバックでオフ気味ながら延々の弾きまくり、これはワマックとのツイン・リード。B-2 "You're messing up a good thing" 、ミディアム、右チャンに浅めだがまあまあのオブリを弾いている。
 Tippy Armstrong の名は、ドン・ニクスのアラバマ・トゥルーパーズにもあったし他のマッスル物でも目にした。Eddie Hinton / Jimmy Johnson / Pete / Wayne Perkins がいわゆるマッスルのギター隊だが、このティッピ、それと Kenny Bell, Larry Byrom の名前にもチェックを入れる必要がありそう。
(030530)

 

#066
"Helen Reddy / Take What You Find"
[ '80 Capitol/JP ]
<…:★>

 毒にも薬にもならない、当たらず触らず、ただのカントリー風味のポップスアルバムであります、ハイ。そんな盤までも書き入れることもないか…、ただね、ピート参加盤もだいぶ煮詰まってきて残りはかなり Hard to Find なところまできている、となればピート不参加でもマッスルサウンド録音盤や四人衆バック盤ならよいか、と。一応 Muscle Shoals Archives とも謳っている頁だし。
 そこでこのヘレン・レディのLP、録音がマッスルサウンドとナッシュヴィル。メンツから推してまずナッシュヴィルはバックコーラス/ストリングズ/ホーンのかぶせのみ、全曲ベーシック録りはマッスルと踏んだ。
 プロデュースが Ron Haffkine、誰かといえば Dr. HOOK のプロデューサー。そしてソングライターにそのメンバーのレイ・ソーヤーや、フックのライターといえばこの人、Shel Silverstein の名。つまりはフック・ファミリーにその制作の一切を委ねたわけやね、ヘレン側としては。でもって録音がマッスルとは、言うまでもなく8頁最後に書いたフックのLP『Preasure & Pain』が思い出される。このセッションでの好感触からロン・ハフキーンが“よし!依頼のヘレン・レディもマッスルでいこう”と決めたな。

 ベケット不参加、キーボードはクレイトン・アイヴィだがホーキンス/フッド/ジョンスンの三人衆に Randy McCormick, Larry Byrom らが絡む。知らない名もあるがどうやらリードプレイの大半はラリー・バイロムと想える。元ステッペンウルフのラリー、この人も何度か書いてきた存在、つまりはマッスルギタリストの一員と云える。上にラリーにも注意をと書いたが、この人はダメだな、あまりにそつのないギターは個性、魅力をかけらも感じさせてくれない、少なくともオレには。
 その低調なギターのせいか、単調な曲のせいか、フッド/ホーキンズ組も恐ろしくつまらなく聴こえてしまう。これもお仕事のうち…そんな言葉しか浮かばぬレコでありました、ハイ。

 

#067
"Don Nix / Hoboes, Heroes and Street Corner Clowns"
[ '73 Enterprise/JP reissue CD]
<C:★★>

 このサイトで採り上げるのは4枚目のニクスだがようやくにピートの参加盤が登場、…ではありますがこれもなぁ。
 前に書いた通りに、この御仁の宗教色/抹香臭さはどうにもアカンのですヨ、オレには。当然のごとくこの盤にも出てくるのが Furry Lewis なるブルーズ爺様。これも前に書いたな、この翁はニクス主宰のクリスチャン・コミューン(?)のグル=精神的支柱なんだね。度重なる参加に音楽的意味はまるでないと、オレには思えることよ。強面なニクスだがけっこう精神的にはもろい人じゃないかなんてまで想像してしまう。
 このアルバム、録音は、ロンドンは Apple Studio 、それにマッスルサウンドとなぜかフランス。次作『Gone too long』も確か同様だったな、どうやらここらのニクスLPはセッションテイク寄せ集めなんだろう。アップルで、これはバングラデッシュコンサート(ニクスも参加とライナーにある)=ジョージ・ハリスン絡みだね、クラウス・ヴォアマン参加もそんなとこでしょ。それとこの時代のUKロックシーンのスワンプ重用というか、米南部コンプレックスが南部ミュージシャンにはいい風となって吹いたってこともあり。フランスも同様か、ニクス、彼の地でえらく人気を博したとか。

 さてワタクシメの偏見はちょいと横に置いておいて、内容に真摯に向き合えば…う〜む、まあまあかねぇ。悪くない、けれどこれだ!って曲もない。ヨーロピアンを喜ばす程度の南部風味…は言い過ぎか。
 『In God We Trust』にもあったが、ここでのトラディショナルナンバー "When I lay my burden down" も、= "Amazing Graces" = "Will the circle be unbroken" = "Glory, Glory" (BYRDMANIAX) 、つまりは同根のハレルヤ曲なのね。タイトルだけがいろいろに変わるんだなあ。異名同曲といえば、一般的にはこのLPのハイライト曲だろう、Beck, Bogart & Appice がカヴァーしたバラッド "Sweet sweet surrender" (ニクス作)もワタシにゃディランの「男らしいってわかるかい?」とどー違うのかさっぱり…。ゴスペルクワイアの歌い上げバック曲などを聴かされるとオレにはどこまでも馴染めない、このお方。…ん?やっぱ偏見? いやいや、深い歌詞の意味まで理解できないオレだから曲さえ良ければ文句ないんだがね…。

 ジョンスン抜けでベケット/フッド/ホーキンスのリズム隊、ギターはヒントンとピート、それにウェイン・パーキンスは Smith-Perkins-Smith まま、3人参加。ロンドン録りへもマッスル組が出張りと思う。はて?フランスまでも全員が足を延ばしたか?
 トップ曲 "She's a friend of mine" は全編でなかなかのオブリが聴ける、これがひじょーにピート臭い…が、音色/フレーズからオレは違うと見た、聴いた。ラストの "Look what the years have done" 、ここでのかすかなオブリぐらいしかピートギターは聴けず。この点からも冴えないブツでした…。
(030603 : thanx to heisei )


 

#068
"Dee Dee Bridgewater"
['76 Atlantic/US reissue CD]
produced by Jerry Wexler and Gene Page
<C:★★>

 一聴の印象は“歌の上手いお姉さん”、USショービズ界には掃いて捨てるほどいそうな…なんつったら言い過ぎよね、いや、それでもいかにもアメリカ的な声のよく出るシンガーって感じ。ただなあ個人的には…(このフレーズ最近使いまくり)

 えーと、グラミーシンガーですか? ポップス寄りジャズの人という印象だけしか持っていなかったが、まあ何にしても今日ではポップ/ジャズ畑ではそこそこ成功した人なんでしょ。その人の、これは一応のデビュー盤ですか、アトランティックからウェクスとジーン・ペイジのプロデュースで。76年盤。戦略的にはポップス畑での歌姫狙いだったんだろうね。後の成功例、ホイットニーみたいな。ホイットニー、マライヤとか、近く感じる。で、この手の「声は嫌ってほど出るゾ」系シンガーに感じるものはないですよ、オレ的には。琴線の質というか部類というか、チョイとオレの中のそれとは違っておりますな。

 前にも書いたけどウェクスの女性シンガー眼(?)、どうにも曇りがあるように感じるわけです。NY録音ディスコ(このディーディーって初めて聴いたけどいきなりのディスコには面食らったなあ、こんな音がくるとは想像しなかった)から始まって、ペイジ仕切りのゴージャスLA録音、自家薬ろう中のマッスル録音と盛るだけ盛ったが食べる前に腹いっぱい。時代を反映したディスコの1曲はともかく、マッスルは“違う”と感じた、このシンガーには。生まれは Memphis, Tennessee らしいが。
 ま、しかしこれってそれほど売れなかったんでしょ? ウェクスはまたも女性でハズしただろうが、それが逆にこの人にはよかったんじゃないかね、後に自分の畑で成功できたから。余談だが思ったのはフィービ・スノウのこと。この人と同じ様な微妙な位置にいた(いる!)フィービは、ファーストLPのヒット、トップ10シングルがなまじに出たばかりにその後を苦しんでいるという印象あり…。

 トップのディスコ曲のドラムは Alan Schwartzburg か、我が愛するギタリスト、 Elliott Randall とのツルみも多い人、生粋のニューヨーカーなんだろうなあ。ジャズからSSWからディスコ、それにオノ・ヨーコまでと何でもありの人。たしかマウンテンの初代ドラマーじゃなかったかな。
 マッスルでホーキンス、ロスでエド・グリーンと好きなミュージシャン満載LPだってのにどうにも乗れなかったブツ。LA録りは、まあこの時代のお約束の音像でそこそこだが。いかんのが期待のマッスル4曲でね、なんだか他人行儀な音。ウェクスの意気込みが解るだけにそれに答んとしたのか、へんな売れ線を狙いすぎてコケた…とか。
 ピートにしても、そうそう、バーブラ・ストライサンドのセッションと同質なプレイ、しかしこちらは地元マッスルであり76年という絶頂期のはずなのにこの有り様とは。ラスト曲のバラッドのオブリにすこしだけ「らしさ」が出ている程度。
 唯一イケたのはホール&オーツ・カヴァー "She's Gone"、LA録音。オリジナルの東海岸録音も良かったがその返答のようなロス一流プレイヤーのプレイは聴きごたえ充分。そ、歌じゃなくてバックの話というのがナンですが…。
(030612 : thanx to ue )

 

 

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ディーディーブリッジは、お借りしたCD。で、CDには書き下ろしのライナー追加で、そこにプロデューサー=ウェクスラーについての一文がある。それによると…
 
 35才のときに、それまでの Billboard Magazine のライター職をやめてアトランティックの副社長の椅子につく。以来 Professor Longhair, Big Joe Turner, T-Bone Walker, The Drifters, Solomon Burke, Ray Charles.. ら黒人アーティストをプロデュース、その後も Sam & Dave を見いだしスタックス(アトランティック傘下)から売り出す、 Wilson Pickett, Aretha Franklin をマッスル・ショールズへ連れて行く…。白人アーティストへもアプローチ、Dr. John, The Allman Bros, The J. Giles Band, MC5(!)... らとサイン。
 ここまでは知っていた話だが「70年代半ばにアトランティックを去り…」とあり。あらま、そうでしたか! そういえばプロデュース盤のレーベルも多岐に渡っていたンだよな、実は。インディペンデントのプロデュース活動のほうがオレのサイトの中では多かったわけね。

 

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 『オールマン・ブラザーズ・バンド』(97年音楽之友社 原題:Midnight Riders)を古本で買った。オールマンズへの興味よりももちろんピートの記述をチェックしたかったから。ピートのマッスル入りに際してのデュアンの関わりはどうやら勘違い? はっきりとはしないのだが、読むとデュアンよりもキーマンは Eddie Hinton だったようす。
 ナッシュヴィル生まれの Duane & Gregg Allman、(ふたりは年子)10歳ごろにフロリダ州 Daytona Beach へ移り住んでいる。この地でのアマ活動中でピートと知り合っていると想えるがその記述はなかった。66年頃に The Allman Joys としてオールマン兄弟がクラブ廻りをしていた時に、同様の活動をしていた、そしてマネージャも同人物であったというアラバマからのライバルバンドを“メンイッツ”といった。(Men Its ?) 66年の末には両バンドともに解散、そこで続けて音楽をやる気がある者どうしが集まることに。デュエイン&グレッグと組んだメンイッツからの3人が Paul Hornsby, Johnny Sandlin, Mabron McKinney 。この5人で Hour Glass となる。
 さて、ロスへと出てきたアワーグラスだがアルバム1枚を出すも喰えない状態が続く。そんな中、ロスのクラブ Whiskey A' Go-Go でのステージ2時間前にベースのマブロンが姿を消してしまった。この緊急時、たまたまロスへ来ていたのが我らがピート・カー…実はピートもメンイッツのメンバーであったのだ。ロスへは旧友ポール/ジョニーを訪ねて来ていた。そこでポールがピートへ「今夜はお前がベースを弾くんだ!」。ベース経験のなかったピートだがその夜以来結局アワーグラス解散までつき合うことになった。
 ピート参加後のアワーグラス、Liberty からのセカンドアルバム発表後に実はマッスルショールズ(FAME Studio)にてデモ録りをしている。本当にやりたい音楽、満足のゆくデモが録れたがそれを Liberty に否定されてバンドは解散と相成った。
 つまりデュアンにしてもピートにとっても初のマッスルはアワーグラス時代の68年4月のこと、プロデュースは Jimmy Johnson 。当時すでにマッスル入りしていたらしいのがエディ・ヒントン。驚いたことにエディもメンイッツのメンバーであったという。その時はリード・ヴォーカルだったと。つまりメンイッツとは:Eddie Hinton (Lead Vo.), Paul Hornsby (Kbd), Johnny Sandlin (Dr.), Mabron McKinney (Bass), Pete Carr (Gui.)
 
 ということでピートのマッスル入りはヒントンがらみとみて間違いないようだ。ちなみにピートの生まれは Florida, Daytona Beach 。アラバマベースのメンイッツへは出張り参加だったのか、逆にメンイッツのメンバーがそろってフロリダへ南下してきていたのかは不明。それと、Hour GlassのCD『Power of Love』のライナーには「マブロンはテクニック的に問題あってバンドをクビになった/マブロンとピートはともに The Five Minutes のメンバーであった」という記載あり。メンイッツはファイヴ・ミニッツと名を変えたのか、その逆か…どちらにしろ同バンドだろう…。

(追記:よく考えれば、「メンイッツ」は誤植というか音の間違いで、「ミニッツ」のことだろう)

 

 

 

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